父のこと

5/6私の父が亡くなった。享年73だった。
特発性間質性肺炎という難病が2年半前に発覚し それから入退院を繰り返しながら徐々に悪化していった。

コロナがなければと思う場面はたくさんあった。
まだまだ未来がある人と、命の限りがある人と、このコロナ期間の捉え方はまったく違う。
最期にもう一度家族で旅行がしたかった。
大したことはできなかったが、それでも最期まで近くにいることはできた。

私の父は昔からギターを弾き語りながら歌うのが好きで、退職したあとライブなどしながら活動していた。
父の部屋には自作でつくったたくさんの譜面が今でも置いてある。
まだまだたくさん歌いたかっただろうに。
そんな父の遺伝子は私に受け継がれている。
音楽の道に行ったのもそのせいだ。
私がメジャーデビューしたときは父はアメリカに赴任していた。
数年後父が帰国した際、バンドは解散してしまい、結局ライブを一度も見てもらえなかった。

ライブしている父をみて私はもう一度音楽とちゃんと向き合いたいと思った。
そしてそれはCDをつくろうと思うきっかけになった。

いつからか自分自身と闘い制作していたアルバムも、
父の病気が悪化していくにつれ、父のために、父に聴いてもらわないとと思うようにどこか気が焦っていた。
半年毎晩睡眠を削りながら心身共に限界で制作した。
やっとの思いで完成したのが4月の中旬。
今思えば、ぎりぎりだった。
受け取った父は本当に満足そうにしてくれた。
体調が悪い中、知り合いや仲間にもたくさん配ってくれた。

父の音楽仲間の家にある大きなスピーカーで大音量で流して皆で聴いた。
まさに目の前でライブしているかのような爆音だった。
父に初めて私のライブを見てもらっているような感覚になって、目頭が熱くなった。

本当はこのCDを完成してから父ともっともっと音楽で共演していきたかった。
なのにこのCD「ヒカリ」は父の歌と合わせて通夜・告別式に流す曲となった。

父の歌声に励まされながら、あなたがいないこの世界で前を向いていきます。

与えられた命が燃え尽きるまで。

お父さん、ありがとう。

父が歌った花cover

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